2014年6月27日金曜日

中津江村保育園へブラジル報告


中津江村保育園を坂本元村長がブラジルのお土産を持って訪れました。

マナウスの民芸品店で購入した、木材を使ってアマゾン河を描いた絵とアルマジロの置物です。

このアルマジロはワールドカップのイメージキャラクターにもなっている動物で、木製の置物はたくさんありましたが、サッカーボールを持ったものは他にはなく珍しいものでした。

坂本元村長は園児に見せると、「あ!アルマジロだ!」とすでに名前を知っていた子供がいて大変驚いていました。





そして写真を見せながら、カメルーンの選手たちにも会えたことや作ったくれた応援フラッグをスタジアムで広げ応援してきたことを伝えました。

園児の中にも朝早くに起きてカメルーンを応援したとのこと。

カメルーンとの厚い交流が子供たちの心に繋がれているのを感じ、とても嬉しい瞬間でした。

2014年6月21日土曜日

マナウス渡航記 感想編

まずは、5月上旬まで私はブラジルワールドカップへ行くこと自体、全く予想していませんでした。
決まったのは開幕まで、もう一ヶ月を切った頃です。
チケットをかろうじて手に入れ、パスポートの申請、予防接種、飛行機の手配、現地ガイド、カメルーン側とのコンタクト、さまざまな準備に追われ不安もたくさんありました。
けれど周りの方々のご協力を得て、もう信じられないくらいにすべて順調に進み、一生の思い出に残る素晴らしい旅となりました。

エトー選手にも逢えて、試合観戦もできて、中津江村とカメルーンとの絆を更に強くできたと感じます。
それも、中津江村のみなさんの思いがあってこそ実現できたものだと思っています。中津江保育園、津江小学校、津江中学校、商工会婦人部、カメルーン応援団、不屈のライオンの会、みなさんありがとうございました。
そして今回、ブラジルに行くことでお知り合いになれた皆さんとの交流、繋がりを大切にしたいと思います。取材してくれたマスコミのみなさん、情報を提供してくださった方々、マナウス日本領事館の皆さん、佐藤さん、SONYの戸村さん、SONYブラジルの広田さん、川瀬さん、アデリアさんご家族、渡邊さんご夫婦、櫨本さんご家族、リンドンに心から感謝しています。

実際にはお逢いできない方もいましたが、HPを通して、テレビや新聞をみて応援してくださった方にも感謝でいっぱいです。
たくさんの応援をいただいて幸せでした~。
一つだけの後悔は、英語をもう少し話すことができれば良かったなぁと思います。
きちんと相手に思いを伝えられない歯がゆさを何度も味わいました。
4年後のロシアまでには頑張って私が通訳しますので、また連れていってくださ~い。

2014年6月20日金曜日

マナウス渡航記 4日目②

マナウス観光のガイドをしてくれたリンドンです。
16年間、日本に住んでいたので、日本語がすごく上手でした。
それに親切、丁寧。

おかげで楽しく観光ができました。
とても仲良くなって、おうちまでお邪魔することになり、リンドンのもう一つのお仕事の刺繍を見学しました。

そしてプレゼントに刺繍をしてくれました。
リンドンのおススメは店名にもしようかと考えている、ライオンだと教えてくれた時には「不屈のライオン」のこと知っているのかと思いました。
イラストを見たらスポーツセンターにある不屈のライオン像とそっくりで驚いた。

ちょっと違うけどね。
坂本元村長は着ていたシャツにしてもらいました。
私はストールに。

そして夕食はリンドンとリンドンの奥さんとお友達と一緒に大きなテレビのあるレストランに行きました。
ちょうど、日本対ギリシャ戦を観ながら楽しい食事でした。

ピラルクのステーキにスープにお腹いっぱい。

そのあとはスーパーに寄ってブラジルの定番のお土産であるチョコレートを大量に買いました。
歯茎にしみるような独特な甘さだった。
ちなみにスタジアムで飲んだカップもその日限定のもので大切なお土産となりました。

マナウス渡航記 4日目

カメルーン対クロアチア戦の結果は0-4という惨敗でした。
グループステージ敗退が決まり、とても残念でしたが最後の試合までカメルーンを応援します。
私たちはこれまでに選手にも逢えたし、試合も観たし、応援も頑張りました。
できる限りのことはやったので今日は1日楽しくマナウス観光です。

まずは国立アマゾン研究所。



カカオです。

水槽が清掃中でかわいそうなジュゴン

研究所の敷地内に先住民族がテントで民芸品を販売していました。
私たちはチクナ族のお店でお土産を買いました。
全て自然のものを使って手作りです。

パシューバ、モロトコ、トゥックン、アサイ―、ジャリナなどの実を使っています。10~15レアル。


このかわいいチクナ族の店員さんはいつも先住民族独自の言葉を使うので、ポルトガル語はあまり話せないとのことでした。

アマゾナス劇場。1888年ごろゴムの輸出で富を得て建てられた世界で最も美しい劇場の一つとされています。


マナウスの市場です。国旗がたくさん飾ってあって、活気にあふれていました。
果物が豊富です。


魚もサイズが大きい。
すべてアマゾン河で捕れた魚でした。

アマゾン河観光クルーズ。

水上で生活している地区もありました。
アマゾン河としての長さは6515㎞、世界第2位。

ネグロ川とソリモインス川が合流する地点。わかりにくいですが、約70キロにわたり混ざり合わないので境目がわかります。
このあたりからアマゾン河という名前になります。
海で見られるような大きなタンカーが行き交いスケールの大きさに圧倒されました。

2014年6月19日木曜日

カメルーン対クロアチア戦 ウエーブ初体験


坂本元村長がスタジアムでウエーブ初体験。

カメルーン対クロアチア戦 前半終了


0-1でクロアチアがリードしています。カメルーンはレッドカードでソングが退場となってしまいました。一人少なくなったけど、なんとか1失点で終えました。後半戦もがんばれ!

マナウス渡航記 3日目⑤


さて、いよいよ私たちもスタジアムに向かいました。
スタジアムの近くまで車で入ることができず、住民と通行許可書を持っている車だけです。
ほとんどの人は30分から1時間ちかく会場まで歩きます。
セキュリティも厳しく、金属探知機からボディチェックまで受けました。


先住民の衣装を着た人と記念撮影できます。


マナウスのスタジアムはブラジルの試合会場の中で外観が一番美しいと言われています。


スタジアム内に入りました。カメルーンのサポーターはほとんど見当たりませんでした。ブラジル人が多かったです。


旗を広げて応援しました。


試合開始です。

マナウス渡航記 3日目④


ランチを終えて、一度ホテルに戻りました。
ちょうどその時に近くの練習場からカメルーンの選手たちが歩いてホテルに戻ってくるところに遭遇。
私はこの機会にフラッグにエトー選手のサインを書いてもらいたいとフラッグを広げて待ちました。
最初に、アンリ・ベディモ選手が書いてくれました。次にエトー選手。

そのあとに保育園生のフラッグをと思ったら、怖~いリエゾンにしっかりと怒られました。
保育園のみなさん、申し訳ありません。

カメルーンのマスコミの人が坂本元村長に国旗デザインのサポーターをくれました。

この二人のおばちゃんの存在力は坂本元村長といい勝負でした。

地元のテレビ取材も受けました。「カメルーン対クロアチアはどちらが何点で勝つと予想しますか?」との問いに「カメルーンが2対1で勝ちます!」と答えました。放送されたのな。

マナウス渡航記 3日目③


SONYの広田さんたちのお世話になり、FIFAチケットセンターの会場まで行きました。アマゾナス人民文化センターです。


既に手続きに並んでいる人たちがたくさんいましたが、事前に教えていただいていた高齢者優先制度を使うことで待つことなくスムーズにチケットを手に入れることができました。手続きはネットで予約した時にプリントアウトした証明書と使用したクレジットカード、その本人の顔をカメラで撮ったら、完了。意外と簡単でした。

予定より早い時間にチケットが手に入り、SONYのみなさんと坂本元村長リクエストの日本食ランチです。SONYの日本人社員は人数が少ないのもあって、いつも家族ぐるみで親しくお付き合いをしているそうです。私たちもにその輪に入れていただいたので、初めてお会いするのにすぐに打ち解け、まるで家族のような安心感でした。


マナウスではさっきまで晴れていたのに、急にものすごい雨が降り出します。
こちらの道路には側溝がありません。雨水がものすごい勢いで道路わきを流れていくので、車が通ると歩行者に容赦なく泥水が引っ掛かります。それでも現地の人は傘もさすことなく、濡れたままで歩いていました。
横断歩道にはジャグリングをしている子供たちの姿、道路の上にはいたるところでワールドカップの飾りつけが見られました。


マナウスで私が食べた中で一番おいしかったものはパイナップルでした。また食べたい。

マナウス渡航記 3日目②


ホテル内のロビーで新聞の一面にエトー選手が写真が載っていました。

私たちはこのホテルの宿泊者なのでロビーに入れますが、外はたくさんのファンが待機していました。そしてこんな感じで警察官がずらり。ここには写っていないですが、ライフル銃を持っている人もいました。怖かったです。


そんな警備の厳しい中、ホテルのスタッフはとても優しくしてくれました。
売店のおじさんがカメルーンタオルを気にってくれて欲しそうにしていました。なぜ私たちがカメルーンを応援しているのか不思議に思っています。
かたことの英語で伝えましたが、解ってもらえたのか疑問です。


エトー選手に逢う前にジャン・マクン選手が声をかけてくれました。
マクン選手は2003年と2007年のキリンカップで大分に来ている選手です。
坂本元村長のことを覚えていてくれました。